Monologue

日々感じたことをコツコツと。

スタイルを持つということ

ずいぶんご無沙汰になってしまった。今日は自分の考えでしっくり来たことがあったから書き記しておきたいなと思う。

2年くらい前から、自分が好きだと思う人は自分の軸がしっかりしてる人な気がする。と思っていた。うまく言葉にできないけれど、ポリシーがある人とかバレない人とか。

当然、そんな人に憧れているわけだから、自分はブレブレなわけで、毎日毎日「自分の好きなことって何?」と自問自答を繰り返してきた。自分の好きなことなんてふわふわと浮き沈みしていて、元来飽き性な私。自信を持って好きと言えるものなどなく、中途半端に知識のあるものばかり。本当に好きな人から比べれば、モドキと言われてしまうレベルである。

ただ、1つだけがむしゃらにインターンをしていた頃にわかっていたことがある。それは、背伸びは短い間しかできないということ。キャリアウーマンも、ファッショニスタも少しの間なら演じることができる。でも、それは自分ではなく自分が演じている誰かだから長くは続かない。だって気持ちがわからないのだから。コピーはあくまでコピーなのだ。自分は自分の中から湧き上がったものにしか長くはなれないのだ。

むしろこれが分かっていたからこそ、中途半端な好きは中途半端な肩入れしかできないからダメと思っていたのかもしれない。でも、発想を変えてみた。要は憧れがあるけどそれになりきれない代表が私。オシャレや丁寧な暮らし、ステキなおうち…なりたい姿はありありと想像できるけど、めんどくさがり屋で中途半端になる。視点を変えてみれば楽して丁寧に暮らしたい人という1つの特性なのである。これはこれでいいじゃないか。

今日、自分がなりたい人の共通点は「スタイル」を持ってる人達だと気がついた。自分の軸がしっかりしていても、それがスタイルになってない人もいてそこには惹かれない状況を今までうまく言葉にできなかった。最近職場の変化や今日は食のイベントで若手で活躍するシェフの話を聞いたのだけれど、両者の人に共通するのはスタイルがあることだと思う。自分の好き嫌いが明確で、その背景も自分自身の言葉でシンプルに語れる人たちである。自分の軸を持っていることと、スタイルを持っていることは近しいようで違う。順番として自分の軸が明確になって、それが表面化してきてスタイルとしてまとう空気を異質なものに変えていく。同じような自分軸があってもスタイルはその人のポリシー以外の好きなものや嫌いなもの、性格などが反映されるから、一人一人違う。わたしは楽して丁寧に暮らす人というスタイルを自分流に醸せるようになりたい。

早く若手シェフたちのように自分の表現がスタイルになるといいな。