Monologue

日々感じたことをコツコツと。

私とハイライト

私は先日ハイライトを髪にいれた。ハイライトは名前の通り髪の一部を明るくすることで、髪を一部ブリーチしてきれいな色を髪にのせていくもの。人生初のブリーチは、髪が一部金髪になるというちょっとやんちゃな気分にワクワクしながら、出来上がりもニヤけが止まらぬ変貌ぶり。もともと黒髪ツヤボブクール系で通してきていたので、その変貌に恥ずかしながら自分は今すごくかわいいと思ったりしている。

ハイライトを入れて数日後、ご機嫌なわたしに女子特有のアレがやってきた。とはいえ気分は最高だから大丈夫よ〜と余裕をかましていると、来ました。なぞのイライラと不機嫌。この時期私は自分でも原因不明に性格が悪くなる。女性の皆様なら共感してくれると思うが、靴の先端が踏まれた、満員電車で押された、バックが当たった、上司のちょっとした言葉のチョイス…等々普段ならどうでもいいことに尋常なく腹が立つのである。

特に私は本当にわかりやすく、普段はネバヤンをはじめ西海岸系の音楽を聞くのだが、この時期はEDMとかを大音量で聞き、たぶん歩き方なんかもズンズン攻めるような歩き方をしている。形相もややしかめっ面に違いない。服装も黒を基調にしたスポーツミックスに赤リップ、跳ね上げラインと、とにかく攻めのモードである。

こうなると愛しのハイライトも攻めモードの1アイテムとかし、ちょっと不良な私イケてる!という中2病チックな思考に陥っていく。とことん気持ちに浸りやすいのである。

そしてアレが終わりかける頃にはたと気がつくのである。あー私暴走してる。こんな私は目指してる私じゃないわ。と。日々生活していると、ときたま出会える心がピュアすぎるボーイ&ガールはこんな荒んだ気持ちになることはないだろうに!私もそんな人でありたいのに!と。

しかし四半世紀この生活をしてきて、いまさらこの根本的な性格を変えるのは難しいものである。今は心の制御ができているから、女子特有のアレの時期にしか私の裏の顔は出てこないが、一度気になったら言わなかったとしても、腹の中では常日頃から何か思っている。でも、この俗に言うブラックな一面が私のストレス発散になっている気がするのだ。人に言うことはなくても思って受け流す、ちょっと気性が荒くなっている自分をファッションや音楽や見た目で表現する。とことん気持ちに浸ることでスッキリしている気がする。人への印象などを考えるとあまり褒められた方法ではないが、自分はなんてわかりやすい全力投球な子なんだろうと愛おしくもなり、そんな自分も愛せてしまうのだからおめでたい奴である。つまりピュアボーイ&ガールに憧れはあるものの、結局自分が大好きなのである。

話をハイライトに戻したい。ハイライトは普段ストレートヘアにしているとそれほど目立たないが、髪を巻いたりポニーテールにしたりすると、今まで見えていなかったハイライトが見えて言葉にできないかわいさを演出する。ああ、これは私のブラックな一面と一緒じゃないの。と先日髪を巻いている時に思った。普段は隠れているけれど、時より気分の変化によって顔を出す。さらにその時の気分によって表現の幅は変わる。ただかわいいだけと思っていたハイライトにより愛着が湧いてしまった瞬間である。なんと私らしい髪型なのだろう!と。しばらくはハイライト生活を楽しみながら、自分の感情とも上手に付き合っていきたいと思う。

 

 

私の人生を動かした人 neveryoungbeach あべちゃん

あべちゃんを知ったのは、ZOOZOOZOOという30分のラジオだった。写真家の奥山くんと二人でたわいのない話をしたり、時に真剣にクリエイティブについて語り合っている番組で、年があまり変わらない人たちがこんなに奥深い思考で、自分の「好き」を極めているのかと衝撃を受けた。

私は一度ハマるとスイッチが切れるまでとことんのめり込む性格で、このラジオをきっかけに奥山くんのトークライブやneveryoungbeachのライブにも足繁く通うようになった。

やがてZOOZOOZOOはある日突然終わってしまい、その時の喪失感といったら床に伏せそうなレベルだった。

ちょうどこの時期に私は転職をする。

転職前の会社は勉強になる職場でメンバーは本当に大好きだったけど、仕事の分野が「好き」ではなかった。転職に踏み切ったのは、2人の本当に「好き」なものに真剣に向き合っている姿に憧れと尊敬を抱いたからかもしれない。言い訳のできない状況で自分を高めて、業種を超えて熱く語り合える。なんてかっこいいんだろうと。自分の中でなにかをストイックに極めているからこそ、業種を超えても受け売りではない自分の言葉で語れるんだな…といつも感じていた。わたしもいつか2人に「この子と話したい」と思われる人になりたいと純粋に思ったのである。自分でもびっくりするほど影響を受けやすい。こうしてあべちゃんと奥山くんに好きを極めるかっこよさ、夢を持つことの尊さ、自分を育てていくことの楽しさ、新しい仕事と仲間を授けてもらった。

 

あべちゃんには解放という言葉がよく似合う。

私は長女だからか?普段から常識や人の目がきになる。ゆえにお酒を飲んだ時でもないと自分を全面的に解放することが苦手。でもネバヤンのライブに行くと、ライブってノリ方とか決まりがあるのかな?とか、色々なことを無視して自由にかっこ悪いダンスをして、歌って楽しむことができる。心の底から楽しいっていつぶり?私ってこんな人だったっけ?という自分に戻れる。それはあべちゃんが「みんな自由で楽しそうでいいね。」っていうすべてをあたたかい目で見守る言葉と独特の腰振りダンスとドライバーみたいなダンスをしてくれるから。もちろん素敵な他のメンバーも。

他人の目とか気にしてない自分のスタイル。みんなも自分のスタイルでいいよという姿勢。本人の気持ちはわからないけど、自分のフィールドがわかって自分の弱いところもわかって、自分を受け入れているからこそ、他人の目は気にしない。そして人のそのままを受け入れることもできるんだと思う。自然にそれぞれにとっての「いい」を受け入れて尊重する。なかなかできることじゃないけど、私も自分の全てを受け入れたいと最近思っている。全てを受け入れて、自分の好きな自分でいたい。勘違いして欲しくないのは、ありのままを愛するとかではなくて、自分の磨くべきところを磨くということ。他人に憧れるのは悪いことではないけれど、その人にはなれない。だからこそ、その人のような魅力的な人になるために自分が磨くべき場所はどこなのかを見極める。そういう意味での自分を全て受け入れる。である。

 

あべちゃんの言葉はやわらかい。

すごく深いことをいっているときでもやわらかい。それはあべちゃんの感じ方がやわらかいからなのか、はたまた話し方なのか。どちらもあると思うけど、たぶん難しい言葉を使おうとしたり見栄とかはったりせずに自分の言葉で話しているからだと思う。そして、相手の目線に合わせられる謙虚さがあると思う。自分をよく見せようとすれば、よくわからない言葉でプロっぽいことを言うこともできる。でも、あべちゃんはたぶん共感を大切にしているんじゃないだろうか。みんなでわかり合ったり楽しむこと。だから相手のわかりやすい言葉で話せるし、素直な気持ちを話す。

これも実はすごく考えさせられたことで、私はちょっと知識が上の人とかすごいなと思っている人にあうと話を合わせなきゃとわかったフリをする。非常によくない。わからないことを分からないといえないのは一生の恥というが、その通りである。たぶんここには見栄があるからだろう。もちろん、それくらい知っておいて欲しいとか最低レベルの基準はあるだろうけど、素直に興味があるから教えて!といえるのは強さだ。たぶんあべちゃんは言える。

 

最近気がついたのだが、総じてここには「今を楽しむ」ということが前提になっている気がする。今を全力で楽しもうと思ったら、好きなことを極めたり、自分を高めたいと思ったりもする。そして自由で解放的にポジティブな自分でいたいなとも思う。そして分からないことを知って、みんなで楽しみたいなとも思う。会いたい人にはすぐに声をかけようと思うし、ネガティブな人とは自然と距離をとって行く。

今の私に必要なのは「今を楽しむ」という気持ちを忘れないこと。これがあべちゃんの在り方から今の私が学んだこと。

これからもどんな学びがあるのか彼の生き様が心の底から楽しみ。